「百合はさ」感想 第五話

友人の距離

大人の言葉って、子どもにとって思った以上に呪いに成り得ますよね。

音楽一家に生まれて、打ち込める環境に居て、自身に実力も備わって、

選択肢は少なかったかも知れないけれど恐らくその時は、

相川にとって音楽は選んだ道だったのではないでしょうか。

「なぜ」「どう」音楽を好きなのかの具体的な言葉の一つ一つが

真っすぐで力強い眼差しと共にそう感じさせてくれます。

そして一つ一つの「大人の言葉」が

ゆっくりと相川の眼差しと想いを曇らせていきます。

音楽に、そして音楽に従事する人へのリスペクトがあるからこそ

目を逸らせられない、より貪欲に響かせてしまう。

そして受け流すことが出来ず、その全てで自らを削ってしまう。

これ本っ当に自戒しなければならないと思うのですが、

発した言葉って、本人が思うより遥かに他人に影響を与えますよね。

受け手が後進であれば尚更。

取りこぼすまいと両手を広げて、一身に言葉のナイフを抱きしめてしまうんです。

大人って「いつから」なのか「なにがあるから」ではなく、「なれてしまう」んですよね。

自立してなかろうが、思考停止してようが、立場や年齢に伴う

立ち振る舞いを求められてしまう。

だからこそ「大人であろう」とする気持ちはアップデートし続けなければならないと思うんです。

そこに慢心があれば、その言葉は容赦なく相手の心を削いでしまう。

回想の指導者は、独りよがりの理想の為に、淡々と小さな否定を重ねて相川を縛ってゆく。

小さな言葉は視点を変えれば大きく重い呪いとなってのしかかり、

一つづつ確実に相川の心を霞ませていく。

音楽を選び続けて、音楽と共に生きてきたことが揺らいでしまう。

そこへ、(恐らく)自分より遥かに多い選択肢の中から音楽を選び

心から愛し、その道に邁進していく片桐の思いに触れてしまう。

環境という要因が無く、気持ち一つで自分と同等の熱量を持つ同志との出会いは

相川には救いであっただろうし、友情とリスペクトも生まれたことだろう。

だからこそ冒頭のモノローグが刺さる。

片桐の前では

音楽を楽しむ姿しか見せたくなかった

片桐が心から音楽を愛していたから

悲しみの奥から射貫くような相川の眼差しからは

「音楽を楽しむ」以外の姿、つまり「音楽に悩む姿」を見せたくないという

強い「意地」が見える気がする。

これは「弱みを見せたくない」ということと

音楽への想いに後れを取ってしまうことにより今の関係性が崩れる

ひいては「片桐を失う」ことへの恐怖すら意味するかもしれない。

その最悪の事態を避けようとするための強く悲しい眼差し。いやぁ、辛い。

片桐寄りの視点である前話までだと

相川は環境に胡坐をかかず研鑽を重ね、真摯に音楽に向き合い

その上で心から楽しんでいるように見えたと思います。

今回は相川から見た片桐が語られます。

周りに流されて 言われたまま 音楽を続けるより

色んな選択肢の中から 自分の手で音楽を選んで

離さないように握り続ける決意も 当たり前にできる片桐のことを

本当にかっこいいと思ってる

この二人は本当に両片思いですね。

自分をちゃんと見つめているからこそ自分の壁が見えて

その壁を越えている(ように見える、お互いに)相手と出会い

その相手と共有する時間を心から愛おしく思っている感をひしひしと感じて

尊くて(勝手に)哀しくておっさんは泣きそうです。

そんなところへ訳わからん感じに男が挟まってきたんですが、

この時の片桐の精一杯の優しさと思いやりで「何も言わない」決断をします。

相川が大切な存在だからこそ、土足で踏み込まない。

そして相川自身の言葉に乗せてよぎった想い

相川は今

「色んな選択肢の中」から「何か」を

自分の手で選びとろうとしているのかもしれない

相手へのアクションの是非って正解は無いと思うし

それが過去になったときに「あの時はあれが正解だった」ということにする

以外やりようはないと思っています。

ただ、この時の片桐にとっては出来うる最大限の思いやりだったと思うし

この二人は真面目で純真でお互いをリスペクトしているので、

お互いを思いやった一つ一つの決断がマクロで見たときに

二人の最高の未来に繋がっていくのだと信じています。

作者様のお言葉

練習をサボり気味なメンバーを頭ごなしに責めない片桐は視野が広いなと思います。

まあ視野を広げてくれたのは相川なんですが……

その広い視野を「はるかな高みから」描いているのは先生なんですが……

いやほんとにこの数話だけでも時間軸が前後しますが、

キャラクターの背景と想いと言動の一つ一つが丁寧に描かれていてリアルですよね。

相川の立ち振る舞いによって片桐の視野が広がって

その片桐に(立場に反して)そっとしておいてもらえることによって

相川もじっくり自分に向き合うことが出来る。

直接相手に働きかける強いアクションではなくても

お互いを高め合う二人の関係性

メッッッッッッチャ栄養価高いっす。

皆さんのお声

タイトルのミスマッチ感のお声が多かったですね。

これはlineマンガの仕組みに関わってくる戦略だったようなんですが

結果よかったんじゃないでしょうか。

タイトルは、その作品を端的に表すものであったり回収されて作品の一部であったりしますが

それとて時代や環境に左右されますし

作品におけるタイトルの位置づけ・関係性も変わっていくものだと思います。

連載を続けなければこんなドラマは生まれなかっただろうし。

いいものが世に知られず評価を受ける機会を失うことによって

価値そのものを下げて人知れず朽ちていくことを思えば

内容に全振り出来る環境を維持するためのタイトルは大正解だったんじゃないでしょうか。

ついでにこの「逆タイトル詐欺」という声が多いも

関西風に言うところの「おいしい」評価だし

作品そのものの質の高さの証左なのだとも思います。

なによりこのタイトルがあって、回りまわってこの作品に出会えたので

感謝しかありません。

そして世の常識が移り変わるようにこのタイトルにもすぐ慣れました。

今や『百合にはさまる男は死ねばいい!?』以外の何ものでもありません。

そして次いでよく見られたのが経験者さんたちからの

2ndや3rdが好きだったとのお声。

なんとなく解るなぁ

音楽を聴いてたらやっぱり歌とかイントロとかが印象に残るんだけど

ずっと聴いてるとコーラスとか「縁の下」パートが気になってくる。

演者側としたら、自分のパートで重厚な曲に仕上がる達成感は

花形パートとはまた違った楽しみなんでしょうね。

1stでいる自負も矜持も持ち合わしている片桐と

その座を奪おうとしている2ndが好きな相川

でも目的は楽団として最高の演奏をすること。

そこへ至る道はスタートすらいくつもあって

分かれ道もあって、新ルートも発見できて

何だったら最高到達点もいくつかあったりして。

そんな高みへ上っていける子たちが眩しくて

おっさんは涙腺をズキズキ痛めながら楽しませてもらっています。

Candide Overture キャンディード序曲 レナード・バーンスタイン

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