ボス、しけてないぜ

忌野清志郎その人

時折、著名人に対しての形容でしっくりこないことがある。

〇年に一人とか、〇〇の神とか、天才すぎる〇〇とか。

「凄さ」を強調する為だけの文句で、その人の魅力を表現しようとしているのかな、と。

しかしある時ラジオから聞こえてきた忌野清志郎さんの紹介で、

「日本のロック界を牽引してきた…」とあって、すごいしっくりくるなと思いました。

歌声も歌詞もメロディも一級品で、彼自身が超一流の『プレーヤー』なのは疑いようがないのだが、

それに加えて、彼をリスペクトして止まない後続のミュージシャン達の多いこと。

同時代を生きた戦友たちも、彼への愛を語る時の目は熱い(ように見える)。

私(80年代半ば生まれ)の世代どストライクなミュージシャン達も、それぞれが牽引されてしまったのだろう、

それは彼の企画したライブが継続されることからも分かる。

ジャンルを超えて、世代を超えて、巻き込まれ引っ張り上げられてきた人たちが集い、

彼の音楽を共有する。

きっと本人はそんなつもり無いのだと思うけれど、多くの同業者も聴く側も果ては批判する側までも含めて、

手を引かれたのか、背中を押されたのか、ぞろぞろと進んできてしまった。

忌野清志郎その評価

いろんな人の彼への評価がまた面白い。

トータス松本さんは、「洋楽への日本語のはめ方がめっちゃ上手い」と言う。

自身も洋楽に日本語詞を付けたり、名フレーズの空耳を組み入れたりと多様な挑戦をしているので、

よりその「日本語の上手さ」を感じ取ったのかもしれない。

彼の洋楽カバーを聴くと、その魅力の言語化が非常に腹落ちする。

誰もが一度は、「元々この人の曲なんじゃないの?」と思うのではないだろうか。

恐らく最も有名な「デイ・ドリーム・ビリーバー」(THE TIMERS)を始め、

「イマジン」(RCサクセション)、「500マイル」(HIS)は個人的に特に好きな曲だ。

まだ聞いたことがない方は、是非原曲と共に聞いて欲しい。

損なわれない原曲の世界観と、研ぎ澄まされた言葉による彼自身の世界観の

異様に自然な融合に魅了されるだろう(といいな)。

また奥田民生さんはこう言う。

「歌が非常に上手い」と。

「みんな独特な歌声に気を取られるんだけど、その実ただ単純に凄く歌が上手い」

確かに唯一無二の歌声が彼の魅力であることは疑いもない。

しかしフォーク、ロック、シャンソンや歌謡曲までもジャンルを超えて「自分の歌」にしてしまい、

またコラボでは様々な壁を越えて、強烈な互いの個性を相殺せずにちゃんと「共作」にしてしまう。

そういうただ単純に「優れている作品」を生み出せるのは、やはり確かな技術が裏付けされてこそだと思う。

様々な事象から感じ取り、深く自分の中に落とし込み、高い技術で表現する。

だからこそ深く我々の心に届き、魅了して止まないのだろう。

忌野清志郎その青春

私は「楽曲全て網羅してるし、ライブも欠かさず行ってるし、勿論ファンクラブにも入って自宅はグッズで埋め尽くされてるぜ」

っていう人とは程遠いし、知識量もにわかに毛が生えてたらいいなってぐらいなのだけど、

ただ「めっちゃ好き」って気持ちの振り幅は相当だとは思っている。

そんな知識量の私でも、彼の人生に於いてのキーワードの一つだなと思えるのが「ラジオ」である。

今よりずっと情報経路が限られていた時代、音楽少年が「最先端の音楽がドンドン流れてくる」ツールに

のめり込んでいったことは容易に想像できる。

多くの後進もカバーする名曲「トランジスタ・ラジオ」「スローバラード」にも重要なアイテムとして登場する。

そして遺作となった作品が正に「Oh!RADIO」であった。

彼は「いい歳して恋愛のことばかり歌うのもなぁ」みたいに言ったことがあった。

いわゆる「社会的な」楽曲について評価された頃だったと思う。

私はラブソングにしてもそうじゃない歌にしても、大なり小なり彼の楽曲には「静かな怒り」が内在しているように感じている。

例えば60年代頃は、恋愛にしても自由な青春を謳歌するにしても、大人から制限されることが多かった時代だとよく聞く。

それをリアルな若者の言葉として、彼の歌はある種の「戦い」の表現だったのではないかと思う。

それを続けていく中で、彼自身ベテランになり、スターと呼ばれ、否応なく大人になっていく。

すると今度は抑えられていた若者の言葉ではなく、引っ張ってい(かざるを得ない)く大人の言葉に変えて戦っていく。

それが「社会的」と呼ばれる楽曲たちだったのだろう。

しかし、「戦いは青春」だとかのジョナサン・ジョースターも言ってる(と思う)。

「人生を懸けたコト」というニュアンスだと思うが、彼にとって自己表現はずっと青春そのものっだったのだろう。

言い換えれば「言いたいことを言う」とも取れるが、それは時に多くのコストを払うこともある。

思想はブレず、時代の変遷の中で手を変え品を変え、戦い、青春を謳歌し続けてきた。

その傍らには音楽があり、その起点はやはり「ラジオ」だったのではないか。

「愛し合ってるかい?」と問われ、「イエー」と誰よりも声を張り上げたのは彼だった。

(結果的に)晩年、もしかしたら振り返ったのかも知れない彼の青春に始まりにラジオがあって、

「Oh!RADIO」とシャウトしたのなら、美しすぎてどうにも目が霞む。

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