にちよういち

おすすめ絵本

日曜日に開かれる市だから『にちよういち』

様々な産物や日用品、衣類からハンドメイドまで、お祭りの様な市が開催されています。

あっちゃんはおばあちゃんと一緒にお買い物。

馴染みのお店に、知己との邂逅。

人波のひとつひとつに、それぞれの人生が垣間見えます。

露店がいっぱい並ぶ市に、出かけたくなる一冊です。

表情、仕草、体格、服装…人物の描き分けがすごい

圧巻の群衆シーン

西村繁男さんといえばやはり群衆〈モブ〉シーンである。

群衆〈モブ〉と聞くと『その他大勢』という印象もあるが、とんでもない。

広い空間に人々がひしめき合い、

その姿形、服装、仕草、行動、集団やその場所との関係性を

描き切っている表現の量と質は正に圧巻である。

そこには老若男女の隔てなく、全ての人への興味と尊敬の念が感じられる。

登場人物全員が主人公になれるような緻密な描写は、

説得力に満ちている一方、説明が無く想像を果てしなく広げてくれる。

愛らしく、時には少し切ない人々の心の機微が丁寧に描かれ

この世界に脇役はいない、全ての人生にドラマがある、ということを

思い起こさせてくれます。

ストーリーに全く関与しない親子でこの情報量

どんな小さなことにも注がれる視線

SDGsが囁かれて久しい。すこし触れておくと

持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)別ウィンドウで開くの後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。

外務省HPより

世界中の人々が、この世界の為に課題を解決していこうという

国際目標である。その原則として、

『誰一人取り残さない』という表現がある。

人は古来より争いを繰り返し、その度に『勝者と敗者』を分けてきた。

武力、政治、経済、あるいはそれらの重なったものの中で、

勝者が勝者の為のルールを作り、取って替わるものがあれば

また新たな勝者のルールで世界を回してゆく。

誤解を恐れずに言うと、これは生物としてはまず真っ当な生存競争と言える。

しかし人口が増え、文明が発達し、我々の営みが我々の住む地球にまで

影響を及ぼすとなると、最早次のフェーズに移行しなければならない。

つまり、『生き残る為に勝つ』のではなく、『生き残る為に助け合う』社会である。

自分の町内でプラスチックごみの回収を100%にしても、

即座にプラスチックごみの軽減に成果が表れる訳ではないように、

世界的な目標を達成する為には、誰一人の協力も欠かすことは出来ない。

そして全ての人が協力するには、その下地が必要である。

ではあるが、前述した争いの中で虐げられ、除け者にされ、脇役にされてきた人々が、

果たして自分を差し置いて世界中の人々の為に尽力するだろうか?

人が人に協力する要素は様々だが、その前提としては自身の保障が必要だ。

明日とも知れぬ身の上で、世の為人の為に割く労力は無い。

リソースは有限なのだ。これは現実として。

その為にはまず、弱い立場に居る人々を救わねばならない。

世界中の人々が、飢餓や貧困、人為的な命の危険から遠ざけられ、

『自分の為』をとりあえず満たすことで漸く次の一歩へと進むことができる。

すなわち世界中の人々が、この世界の持続の為に

足並みを揃えて進む『人類の偉大な一歩』だ。

持続可能な社会の実現には、『世界平和ですら手段』であるとも思う。

それは現在の勝者であっても、あるいはそうであるからこそかも知れない。

そして『世界平和』とは偉大なヒーローの偉業ではなく、

あくまで人々の草の根の営みによって成されるのだ。

前置きが長くなったが、西村繁男さんの作品には

『誰一人取り残さない』視線が、人にも物にも注がれている。

おそらく、具体的に「この作品を読んで世界平和を考えて欲しい」とは

思ってはいないだろうが、そのマインドは確かに地続きであると思う。

作品を通して、今一度全ての人、モノ、コトにはストーリーがあるということを

再認識し、愛と尊敬の眼差しを向けることで

昨日より優しい世界がきっと待っていることと思う。

等身大の愛で

この作品はネイティブな高知弁で語られる。

恐らく著者が実際に親しんできた高知の日曜市を、

実際の取材と郷愁をもとに描き出したものであると思う。

しかし、PRよろしく『この』市場の素晴らしさを伝えようと

制作したものではきっとないだろう。

(郷土愛から、高知のいいところ知ってねくらいの気持ちはあるだろうが)

いち地元の人間として、精一杯の愛情を注ぎ、

自分の目線で自分の『日曜市』を表現したのだと思う。

そして読者は自分の故郷の、記憶の、知識の『市』やその人々の営みに

思いを馳せ、自らの体験と紐づけたり想像を膨らましたりして作品を楽しむ。

『この人は何を思っているのか。』

『あのときこんなだったなぁ。』

そして時代も変わる。

作中には、ながらスマホやアームカバーなどは見られない。

著者の記憶と、描かれた当時の風情があくまで描かれていることだろう。

しかし普遍的な『人の営み』はこと細やかに描かれ、

変わらないものも変わったものも、話の輪を広げてくれる。

それぞれの思いを、個人的な視点で描き、個人的な視点で読み解き、

またそれぞれの思いに想像を働かせる。

家族であっても文化背景は違い、発想の素地も違うだろう。

ゲームブックのように、あれやこれやと話してみるのも楽しいはずだ。

台詞の表現も独特。巻末には標準誤訳もあり高知弁も学べる。
にほんブログ村 本ブログ 絵本・児童書へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました